2004年09月08日

テロリストに抗議する勇気

わけあって、しばらくこっちの更新は途切れるかもしれませんが…さて、こんな「美談」をご存知だろうか?


■テロリストに抗議した勇気ある少年射殺され(夕刊フジ,2004/09/06)
 勇気の抗議も銃弾が粉砕−。犯人グループに猛然と抗議したため、その場で銃殺された13歳の少年がいたことが分かった。

 殺されたのは、ハッサン・ルバエフ君。拘束から2日目の2日夕、人質が集められた体育館で突然立ち上がり、武装組織に「あなた方の要求には誰も応じない。われわれを殺しても何の役にも立たない」と叫んだ。

 犯人の1人が「正しいと確信しているか」と問い返し、ルバエフ君が「はい」と答えた次の瞬間、銃声が響いた。

 正義感が強く誰とでも友達になったが、年上相手でもひるまなかったルバエフ君。友人は「本当の勇気の持ち主だ」と、その死を惜しんだ。



■産経抄
 ▼そんな中世的暗黒と狂信の現場で、一すじの光明を見た。十三歳のハッサン・ルバエフという少年の勇気である。彼はテロリストに正面切って抗議、「あなた方の要求にはだれも応じない。われわれを殺しても何の役にも立たない」と叫んだという。

 ▼テロリストは「お前はそう確信するのか」と問い返し、ルバエフが「はい」と答えると次の瞬間に銃声が響き、少年は倒れた。なんという野蛮、しかしまたなんという勇気だろう。堂々と正義を訴えて散った少年の光芒の人生を、涙してたたえたい。

 たしかに「テロ」という不条理に対し、「No!」と言う少年…なんとも心をうつではないか。が、一方で、このような行為を手放しに賞賛してよいものだろうかとも思う。これって「勇気」というよりも、「無謀」に属するもんじゃないか。「生きて虜囚の辱めを受けず」にも通ずるものがあってさ。


■あるいは、あなたにかわいい子供がいたとしよう。その子供に対して、彼のような「勇気」を持てとあなたは実際に教えるだろうか? あるいは、そう教えるべきなのか?

■ときどき、この種の「美談」に出くわすが、どこかおかしい。まぁ、幼くして命を落とした彼を、最大限の栄誉とともに弔ってやろう…そう我々は考えるのかもしれないが。


この記事へのコメント

ボクも同じことを考えました。
我が家には息子が二人いるのですが、彼らに対してどう伝えるべきか……。

ボクは小さい頃からずっと空手、ボクシングとやっていまして
高校の頃は目が合ったと言っては相手に絡むような、ずいぶんと迷惑な糞ガキでした。
かなりの修羅場をくぐってきていることもあって、今でも腕力には自信がある。
そんなこんなで、大人になった今では「雷オヤジ」を演じてます。
パブリックスペースで騒ぐ、他人の通行の邪魔をする、シートに土足で上がる
歩道を自転車でかっ飛ぶ、若いのがシルバーシートで寝る……等々。
さすがに「てめぇ。この野郎」みたいなべらんめぇ調ではなく、あくまでも冷静に。
そういう父親を見て育った息子たちですから、当然、正義感も強くなる。
でも、ボクには「拳銃でも出てこないかぎり平気」というバックボーンがあって
なおかつ最悪なパターンまで想定した上で行動しているという自負があるのだけれど
その「自負」までは子供には理解できていないでしょう。

いろいろな伝え方があるとは思いますが、「死んでしまっては意味がないんだよ」と
そんな言葉しか思いつきません。
Posted by kuro at 2004年09月09日 08:54
たしかに美談にするのも問題だと思いますが…。
「テロ」にNOということではなく、もっと民主主義的な信念を守るための死だったらどうでしょうか?無謀なことと断罪するべきなのでしょうか?
武力で黙らされて軍国化してしまった時代が日本にはありましたが、あの不条理な時代に生きていたら、侵略戦争にNo!と言うことは死にも値するかも。
かと言って、諾々と時流に沿うこともできそうにないし・・・と右に進んでいくように見える日本を見ながら考えます。
Posted by migiwa at 2004年09月11日 23:29
現在の新聞やテレビ・ラジオといったマスメディアの言うことを「信用しないように」と強く努めているし、それが相応しいとも考えています。ましてロシアというファクターのうえに、Japanの商業マスコミの、それも産経とくれば、当選確実です。
産経、読売のみならず、Japanの新聞・ラジオが先の戦争でどのような姿勢でいたか、何をしたのか、そして戦争の終わった時、どのように総括したのか、整然とした整理が終わっているとは考えられません。

だから「そんな中、似非的暗黒と狂信の序説の始まった日出ずる国に、一筋の邪悪な光を見た。FijiSanというそれが一線の光を当てた先に、一人の少年の痛ましい死が映し出されたが、『正しいと確信しているか』というその〈正しさ〉と、己が導く〈正しさ〉とを光の中で交錯、混交させ、神々しい威光のように見せている」と、私は読んでいます。

過去の戦争体験者の苦渋は、
http://www.ribbon-project.jp/book/itami.html
にもあります。
国民が力によって動かされた側面もあると思いますが、すべてがそうだったとは私は考えません。意に従わない者、異なる意見の持ち主らに対する国民の側からの除外・排斥・攻撃などの協力があったればこそ、弾圧や虐殺は具現化されたと確信します。「国家」の意に従順する「善良な国民作り」があって「力での強要」となったと。

右傾化は必然ではなく、私も避けるべきものと思うけれど、「邪悪な力」は私たちのすぐ傍らにあって、一見してそれと判りやすい姿形はしておらず、多くの場合、キャラクターのごとく愛嬌のある、憎めない着ぐるみの体で、すでにいるのではないかと、思います。
Posted by pochidabwoo at 2004年09月12日 18:17
いつも楽しみに見ています。

さて、このニュースですが、日本語でネット上に流れているのは夕刊フジ(産経系列)の記事だけみたいですね…

どうも、胡散臭いんですが、どんなものでしょう…

Posted by トータス向井 at 2004年10月02日 22:18
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